「ブロウの日記」ですけど・・・。
初めまして、ブロウです。毎日の生活で感じたことについて、書いていきたいと思います。それは身の回りのことかもしれないし、ニュースかもしれないし、僕の周りの人が体験したことかもしれません。
出られない、触れられない。 これには2つの意味がある。(ブログに寄せられたコメントから)
・・・「とおりすがり」さんへ。
あなたの言うように、
「楽器に触れられず、コンクールに出場できない。」
ということは辛いことだと私も思う。
・・・これは二重の意味で辛いことだと私は考える。
それは、
一つは、事件が起こってしまったこと。
そして、もう一つは、事件の影響で心が深く傷ついたこと。
事件の影響は物理的にも精神的にも大きいものだと私は考える。
・・・もう二度と、たくさんの生徒が傷つくような悲惨な事件は起こらないで欲しい。
・・・私はそう考える。
・・・「とおりすがり」さん、コメント感謝する。
楽器を見ると事件を思い出すのだろうか。
改造福田改造内閣には、そういう犯罪の連鎖を断ち切る政策を打ち出して欲しいと私は考える。
ところで、Yahoo!ニュースによると、
というニュースがあった。
・・・そういえば、ニュースでは生徒も事件を目の当たりにしてショックを受けているということは何度も報じられていたのを私は覚えている。
yahoo!のニュースでも
臨床心理士が部員53人を診察した結果、本格的な診断が必要な生徒が32人にのぼったため。「楽器を見るのが怖い」「楽器が触れない」と話す部員が多い
と報じられていた。
楽しいはずの夏休み中に起きた事件かつ部活中に起きた事件でショックを受けている人は当事者でなくても多いと私は考える。
まずは、事件を目の当たりにしてショックを受けていう生徒たちの心のケアが必要ではないかと私は考える。
(※この記事を書くにあたって、Yahoo!ニュースの
『<殺人未遂>教諭が顧問の吹奏楽部、コンクール辞退』
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080801-00000060-mai-soci
を参考、引用した。)
苦手な人間は誰にでもいると思う。でも、だからといって殺そうとしてしまっては(寄せられたコメントから)
サイコ輪。。Fさんからコメントがあったので、それに答えていきたいと思う。
「サイコ輪。。F」さんへ。
・・・誰でも、
「この人は苦手だな、そりが合わないな」
という人はいるだろうと思う。
だが、だからといって「復讐」と称してその人を殺してしまったりしては、あなたの言うように、
「貴方が誰かに復讐心を持つその何倍も死後に責任を負う者に成る貴方が存在」
という状態になるのは、当たり前だし、その人から何も学べなくなると私は考える。
また、あなたの言うように、
「貴方の敵を愛する」
ということが大事かもしれないと私は思う。
「・・・憎いと思っていた人は実は素晴らしい人だった。」
ということに気づく。
・・・私もそういう人生を送りたいものだ。
ところで、
「憎い人は実は素晴らしい人ではないか」
という解釈については、実は私のブログでも取り扱っているので、そちらも見て欲しい。
・・・「サイコ輪。。F」さん、コメント感謝する。
恨み 逆恨み 謝罪なし 反省なし
前回は、父親が息子の犯罪を止められなかった無念さについて書いたが、Yahoo!ニュースによると、
という記事があった。
どのように冷やかされたのかというと、
とのことらしい。
他にも、
とある。
・・・一体、神谷教諭が何の野菜に例えて冷やかしたのかはわからないが、もしそれが本当だとしたら、それは教師としてあるまじき行為だと私は考える。
ただ、記事の中に、
調べの中で、神谷さんの容体を気遣ったり、襲撃を反省するそぶりはなく、謝罪の言葉もないという。
とあるのが気になる。
・・・少年の口から、自分の犯した罪の重大さに気づいて謝罪の言葉が出ることを私は期待しているのだが・・・。
記事によると、
少年は「自分が人間関係をうまく築けないのは教諭に厳しくしかられたから」とも供述しており、県警は少年が自分自身を悲観し、かつて担任だった教諭への逆恨みをエスカレートさせたとみて、慎重に裏付けを進める。
とある。
・・・例え、どんな恨み、逆恨みがあったとしても、人を殺めることはあってはならない。
・・・というよりは、「命を大切にする心」もそうだが、
「人を思いやる言動をする」
など、人を大切にする心も、大人である私達も身につけていかなければならないと私は考える。
(※この記事を書くにあたって、Yahoo!ニュースの
『<知立殺人未遂>「体形冷やかされた」教諭へ逆恨み募らす?』
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080731-00000059-mai-soci
を参考にした。)
「知っていること」 「気づくこと」 愛知県知立市の中学校の刺傷事件を通して
について考えている。
この事件で刺された教師、神谷佳久さんは一命をとりとめたようだが、今回の事件は、部活中の生徒だけではなく、知立中学校の生徒だけでもなく、多くの人に衝撃を与えたのではないだろうか、と私は考える。
・・・とにかく、生徒や教師たちのいわゆるPTSDが心配だ。
これから、心の十分なケアが必要になってくるのではないかと私は考える。
・・・ところで、毎日jpによると、少年の父親が毎日新聞の取材に応じたことを報じる記事があった。
その取材では何と、父が
ということが書かれていた。また、
父親によると、少年は25日、21日に始めたばかりの警備会社のアルバイトから帰ってくると、いらいらした様子で自室に入った。普段から会話は少なかったため、理由は尋ねなかった。事件当日の29日には、父親の携帯電話に母親から「(少年の様子が)なんかおかしい」と連絡もあった。
と、記事にはある。
・・・ところで、私はよく、少年犯罪に関する文献を読むことがあり、ニュースでもそういう記事に出くわすことが多いのだが、それによると犯罪を防ぐ方法として、
「子どものサインを読みとる」
ということが挙げられているのをよく見聞きする。
今回の事件の場合はそのサインが読み取れていながらも犯罪が起こってしまった。
このことについて記事によると、
父親は「先生を恨んでいたことは知っていた。なぜ気づいてあげられなかったのか。『うるせえ』と言われてもいいから、助けてあげたらよかった」と、右手で顔を覆い悔しさをにじませた。
とある。
・・・ここで、一つの疑問が浮かんでくる。
・・・「知っている」と「気づく」はどこがどう違うのか?
・・・これはあくまでも私の持論だが、
「私達はニュースなどで、子どものサインを見逃さないという術(すべ)は幾度も報道されているのでおそらく知っているのではないだろうか。」
そして、「気づく」ということは
「その場面を実際に見ている」
ということを指すと多くの人は思っているだろう。
しかし、気づくだけならば誰でもできると私は考える。
子育てにおいて「気づく」というのは、例えば、
「私はゴミが落ちているのに気づいた。
だから、ゴミを拾ってくずかごに捨てた」
という、気づいた後の反応も含めないといけないし、プラスの反応でなくてはならないと私は考える。
(※マイナスの反応としては例えば「ゴミが落ちているにもかかわらず見て見ぬふりをして立ち去った」ということが挙げられる。
・・・では、今回の「子どもの異変に気づいた場合」はどうすればよかったのだろうか?
私はこれについては
「異変について思い切って会話し、一歩踏み込んだ対応をすること」
が大事だったのではないだろうかと考える。
しかしながら、記事によると、容疑者の少年の父親の話によれば、異変に気づいたにもかかわらず、
普段から会話は少なかったため、理由は尋ねなかった
とある。
もし、普段から親子間の会話が多ければ、子どもが困っている時に、異変があった時に気づいてあげることができ、少なくとも適切な反応が取れたのではないかと私は考える。
・・・もっとも、「犯罪を防げたか否か」となると別問題だが。
(※この記事を書くにあたって、毎日jpの
『知立殺人未遂:「事件4日前に異変」父が証言』
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20080731k0000e040070000c.html?inb=rs
を参考、引用した。)






