「ブロウの日記」ですけど・・・。
初めまして、ブロウです。毎日の生活で感じたことについて、書いていきたいと思います。それは身の回りのことかもしれないし、ニュースかもしれないし、僕の周りの人が体験したことかもしれません。
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フィレンツェの落書きの謝罪に疑問!
おはようございます。
今日は自分の声で目が覚めました。
ある夢を見ていて夢の中で怒っていた記憶があります。
相当疲れていたのでしょう。
・・・さて、私が今気になっている話題は、フィレンツェの「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」の壁に岐阜市立女子短大学生らが落書きしたという事件で、同短大の松田之利学長と落書きをした女子学生1人が9日、フィレンツェ市役所を訪れ、大聖堂の関係者らに謝罪したという話題です。
昨日の深夜にニュースを見たのですが、謝罪した女子学生が泣いていて職員に
「顔を見せて」
と言われるシーンがあったのを私は覚えています。
どうやら岐阜市とフィレンツェが姉妹都市になっていることが寛大な対応をもたらした背景となっているらしいのですが・・・。
「ちょっと待った!」
と言いたいのは私だけでしょうか!?
でも、それはフィレンツェ側の寛大な対応に対する「ちょっと待った」ではありません。
なぜなら、もし寛大な対応をせずに例えば、
「テメエ、何てことをしてくれたんだ、ぁん!?」
と土下座している学生の頭を蹴ったならばそれは誰の目から見ても一種のパフォーマンスにしか見えず、おそらく私達の中にも
「これ何てVシネマ!?」
と声を思わずあげてしまう人もいると考えられるからです。
・・・それゆえこういう対応は当たり前だと思います。
しかし、フィレンツェ側は本当はもっと腹を立てていると私は思います。
・・・ただ、私の「ちょっと待った」は謝罪の寛大な対応ではなく、また加害者に向けられたものではありません。
・・・傍観者に対してちょっと待ったと言いたいのです。
確かに職員に抱擁されるシーンは感動的(?)かもしれませんが、傍観していた人たち(落書きした学生と一緒に旅行に行っていた人たち)も謝罪に行くべきだったと思います。
何かのCMで「学生さんは金がない」と言っていたCMがあるのですが、学生たちの間でお金を出し合って謝罪した人たちと共に行くべきだったと私は考えます。
それに、落書きした学生の親に何らかの動きがなかったことも今回のフィレンツェ市役所の謝罪に限らず私は違和感を持ちました。
・・・この問題に対し親は一体どう思っているのでしょうか?
今回の謝罪に対し、寛大な対応がなされたことについて傍観者たちが何も感じなければというよりはそれに甘えていればこういう事件は何度でも起こりうると私は考えます。
特に今回の件に関して言えば、
「学生と学長が代表して謝罪に行った」
という考えもあるのですが、もしそうであって、しかも傍観者たちが
「これで私達の罪は許されたんだ」
と考えるようならば、それこそ許せないことだと私は考えます。
・・・そういえば昨日のニュースでは「寛大な対応」を「心が広い」という見方をしていたようですが私にしてみればそれは違うと思います。
・・・このことについては次回に回すことにしましょう。長文になってしまったので。
(※この記事を書く時に、MSN産経ニュース
『落書き学生らが謝罪 フィレンツェ訪れ号泣』
http://sankei.jp.msn.com/world/europe/080710/erp0807100000000-n1.htm
を参考にしました。)
今日は自分の声で目が覚めました。
ある夢を見ていて夢の中で怒っていた記憶があります。
相当疲れていたのでしょう。
・・・さて、私が今気になっている話題は、フィレンツェの「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」の壁に岐阜市立女子短大学生らが落書きしたという事件で、同短大の松田之利学長と落書きをした女子学生1人が9日、フィレンツェ市役所を訪れ、大聖堂の関係者らに謝罪したという話題です。
昨日の深夜にニュースを見たのですが、謝罪した女子学生が泣いていて職員に
「顔を見せて」
と言われるシーンがあったのを私は覚えています。
どうやら岐阜市とフィレンツェが姉妹都市になっていることが寛大な対応をもたらした背景となっているらしいのですが・・・。
「ちょっと待った!」
と言いたいのは私だけでしょうか!?
でも、それはフィレンツェ側の寛大な対応に対する「ちょっと待った」ではありません。
なぜなら、もし寛大な対応をせずに例えば、
「テメエ、何てことをしてくれたんだ、ぁん!?」
と土下座している学生の頭を蹴ったならばそれは誰の目から見ても一種のパフォーマンスにしか見えず、おそらく私達の中にも
「これ何てVシネマ!?」
と声を思わずあげてしまう人もいると考えられるからです。
・・・それゆえこういう対応は当たり前だと思います。
しかし、フィレンツェ側は本当はもっと腹を立てていると私は思います。
・・・ただ、私の「ちょっと待った」は謝罪の寛大な対応ではなく、また加害者に向けられたものではありません。
・・・傍観者に対してちょっと待ったと言いたいのです。
確かに職員に抱擁されるシーンは感動的(?)かもしれませんが、傍観していた人たち(落書きした学生と一緒に旅行に行っていた人たち)も謝罪に行くべきだったと思います。
何かのCMで「学生さんは金がない」と言っていたCMがあるのですが、学生たちの間でお金を出し合って謝罪した人たちと共に行くべきだったと私は考えます。
それに、落書きした学生の親に何らかの動きがなかったことも今回のフィレンツェ市役所の謝罪に限らず私は違和感を持ちました。
・・・この問題に対し親は一体どう思っているのでしょうか?
今回の謝罪に対し、寛大な対応がなされたことについて傍観者たちが何も感じなければというよりはそれに甘えていればこういう事件は何度でも起こりうると私は考えます。
特に今回の件に関して言えば、
「学生と学長が代表して謝罪に行った」
という考えもあるのですが、もしそうであって、しかも傍観者たちが
「これで私達の罪は許されたんだ」
と考えるようならば、それこそ許せないことだと私は考えます。
・・・そういえば昨日のニュースでは「寛大な対応」を「心が広い」という見方をしていたようですが私にしてみればそれは違うと思います。
・・・このことについては次回に回すことにしましょう。長文になってしまったので。
(※この記事を書く時に、MSN産経ニュース
『落書き学生らが謝罪 フィレンツェ訪れ号泣』
http://sankei.jp.msn.com/world/europe/080710/erp0807100000000-n1.htm
を参考にしました。)
タグ : フィレンツェ 落書き サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂 岐阜 市立女子短大 学生 謝罪 フィレンツェ市役所
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