「ブロウの日記」ですけど・・・。
初めまして、ブロウです。毎日の生活で感じたことについて、書いていきたいと思います。それは身の回りのことかもしれないし、ニュースかもしれないし、僕の周りの人が体験したことかもしれません。
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寛大な対応は心の広さからではない。 それには大前提がある。
第4章では、イタリア・フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の落書き事件で落書きをした女子短大生らの謝罪に対し、寛大な対応がなされたことについて書いているのですが、私はそれについて
「決して(イタリア人の)心の広さではない」
ということについて書きました。
今回はその根拠について書いていきたいと思います。
・・・MSN産経ニュースの、
「【外信コラム】イタリア便り 大聖堂落書き事件」によると、
(http://sankei.jp.msn.com/world/europe/080706/erp0807060253000-n1.htm)
このコラムを書いた坂本鉄男氏が、
「この事件に関するイタリア側の驚きは「日本人観光客の不届きな行為」への怒りからではない。自国民による落書きを恥じて証拠写真を学校側に送り付けた日本人観光客の潔癖さと、直ちに落書きの犯人に厳重処分を下し謝罪した学校側の対応に驚いたのである。」
と書いていることにあります。
「日本で落書きの犯人に厳重処分が下された(「社会的制裁」というべきか)にもかかわらず、その犯人がわざわざイタリアを訪れ謝罪するという行為に至ったということから寛大に対応すべきと判断したといえる」
と考えられます。
つまり、犯人は「日本で社会的制裁を受けた」という大前提があってのイタリア側の寛大な対応なのです。
ただし、
「幸い新しく選出されたローマ市長は、落書きに対し厳しい罰則条例を用意することに意欲を示している。」
ということからイタリア側も常にこの落書き問題に対して決して寛大ではないということもうかがえると考えられます。
このコラムで、坂本氏が
「これまでイタリア各都市当局の落書きへの対応はあまりにも寛大過ぎた。」
と書いている点は見逃せず、それを考えると、
「もうこのような落書き問題に対して、例え日本で社会的制裁を受けたという大前提があっても、イタリアでは今回のような寛大な対応を取れないよ」
ということを意味していると私は考えます。
・・・私はサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の落書き事件について日本で停学などの処分を受けた人たちの中で、まだ今回の女子短大生のように謝罪に行っていない人たちは、ローマ市長が落書きに対して厳しい罰則条例を設けようとしているので、罰則条例が出来上がらない今のうちに謝罪に行った方がよいと考えます。
「日本で社会的制裁を受けたから十分じゃないか」
と言う人たちもいると思うのですが今回のような謝罪をしてイタリア側に許されるのは今という時をおいて他にないと私は考えます。
イタリア側が寛大な対応をしている今のうちに行った方がよいと私は考えます!
・・・もちろん、日本で社会的制裁を受けたという大前提がそこにあるのですが。
「決して(イタリア人の)心の広さではない」
ということについて書きました。
今回はその根拠について書いていきたいと思います。
・・・MSN産経ニュースの、
「【外信コラム】イタリア便り 大聖堂落書き事件」によると、
(http://sankei.jp.msn.com/world/europe/080706/erp0807060253000-n1.htm)
このコラムを書いた坂本鉄男氏が、
「この事件に関するイタリア側の驚きは「日本人観光客の不届きな行為」への怒りからではない。自国民による落書きを恥じて証拠写真を学校側に送り付けた日本人観光客の潔癖さと、直ちに落書きの犯人に厳重処分を下し謝罪した学校側の対応に驚いたのである。」
と書いていることにあります。
「日本で落書きの犯人に厳重処分が下された(「社会的制裁」というべきか)にもかかわらず、その犯人がわざわざイタリアを訪れ謝罪するという行為に至ったということから寛大に対応すべきと判断したといえる」
と考えられます。
つまり、犯人は「日本で社会的制裁を受けた」という大前提があってのイタリア側の寛大な対応なのです。
ただし、
「幸い新しく選出されたローマ市長は、落書きに対し厳しい罰則条例を用意することに意欲を示している。」
ということからイタリア側も常にこの落書き問題に対して決して寛大ではないということもうかがえると考えられます。
このコラムで、坂本氏が
「これまでイタリア各都市当局の落書きへの対応はあまりにも寛大過ぎた。」
と書いている点は見逃せず、それを考えると、
「もうこのような落書き問題に対して、例え日本で社会的制裁を受けたという大前提があっても、イタリアでは今回のような寛大な対応を取れないよ」
ということを意味していると私は考えます。
・・・私はサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の落書き事件について日本で停学などの処分を受けた人たちの中で、まだ今回の女子短大生のように謝罪に行っていない人たちは、ローマ市長が落書きに対して厳しい罰則条例を設けようとしているので、罰則条例が出来上がらない今のうちに謝罪に行った方がよいと考えます。
「日本で社会的制裁を受けたから十分じゃないか」
と言う人たちもいると思うのですが今回のような謝罪をしてイタリア側に許されるのは今という時をおいて他にないと私は考えます。
イタリア側が寛大な対応をしている今のうちに行った方がよいと私は考えます!
・・・もちろん、日本で社会的制裁を受けたという大前提がそこにあるのですが。
タグ : 外信コラム MSN 産経ニュース イタリア 落書き 女子短大生 謝罪 大聖堂 サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂 寛大な対応
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